クズからの脱出 ~クズ3~

 子供が産まれた。 女の子だった。 めっちゃくちゃかわいい 真面目に働くぞ❗

と覚悟するも 贅沢病は治らない。

なぜ 貯金をしないのか? 今、考えると簡単なことで これが後悔というもの。

 

 幼少時代 めちゃめちゃ貧乏だった。 私が子供のころは周りも同じような環境だったので、自分が貧乏だとも思わなかった。

小学1年生 新しいランドセル 。

そんなもん買ってもらえなかった。

新しい机

タンスで義父が作ってくれた。

私の実父は3歳の時に亡くなった。母と祖母の3人で引っ越ししたぼろアパートで私と仲良くしてくれたおじさんと母が再婚して 入学祝いにタンスで机を作ってくれた。

が 嬉しいはずもなかった。

 2年生の冬に引っ越しをして 2DKのハイツに引っ越し。

大阪市内から環境のいい場所。

 この2DKのハイツを見たとき 家に黒電話とお風呂があることにビックリして大金持ちになったと錯覚する。

 

だが環境の良いところ 周りは金持ちっぽい同級生達で私のランドセル代わりの肩掛けのカバンにみんな 驚いてたのを今でも覚えている。 

 このころは勉強も嫌いでなかったので 順調に真面目にしていれば中卒とはならなかった。

はずだが

 

 小学5年の時の担任が私とは合わなかった。

 

  1に算数 2に算数3・4がなくて5に算数。

 

授業は国 算 理 社はするものの それ以外は算数ばかり  私はここで勉強についていけず クラスに馴染めなかった。

 

 この担任になると仲の良かった別のクラスの友達らも離れて行くので 勉強できない仲間 2~3人が 親友となる。

 6時限目が終わって さっさと家に帰り親友たちと毎日、遊ぶ。

この担任は6時限目終わったあとも補習授業を行う。

私と仲間は補習授業にでず 遊び回る。 担任に嫌われる  毎日 怒られる。

 7月の授業で体育はプール。

「プールに入りたい人?」

先生か言うと 手をあげるのは 私と仲間の3人だけ。

 「ではプールはなしで算数を始める」

 「・・・・・・・・」

算数と言っても 教科書はやらない 先生が問題を読む 生徒はノートに問題を書く できた人から先生のところへ行き正解であれば 100点マークが貰える。

 ちなみに高校大学の問題らしく いわば数学問題なのです。

 方程式やいろいろな数式を補習授業で教えてくれるので 私含みの仲間は「・・・」なのでした。 

 学期末 最後の授業では この100点の数を発表していくのですが 私と仲間たちは

「0」と答えて回りに笑われる

そして先生にバカにされる。

さらにクラスの誰かが 私と仲間たちが屋根の上で遊んでいるとチクられて 

 「クラスの面汚しが!」と何発もビンタをくらう。 

 給食袋が1つないと まずは私たちが疑われる。

 毎日 ビビりながら学校に行ってたのが 今では不思議だ。

 

今ならパワハラと言えるけど当時は 母親にも怖くて言えなかった。

 

さらに遠足終了後 学校のグランドで輪になって 巨○の星の歌をフルコースで円陣を組んで歌わされる。

 私は大のタイガースファン 阪神子供の会にも入っていた。

 

 とにかく、この先生がイヤだった。

 けど 誰にも言えない。仲間たちも同じ気持ちだった。

 

6年もクラス替えがないので同じ先生。

 

 ふつーに地獄だった。

 

 唯一 授業で嬉しかったのが百人一首

 

 1番から10番ぐらいは覚えたけど 私と仲間以外は100番まで覚え 名前までも全て答えられる。 

 それでも楽しかった。 はず 

やっと卒業の時には 先生と生徒たちは泣きまくっていた。

 私と仲間たちは 凄く 嬉しくても とにかく 我慢した。

 

 解放された。

 

この2年間で勉強が嫌いになった。

 

ありがとう ○○先生。

 

貴方のおかげで中学では まったく勉強しなかったので高校のことも まったく考えなかった。

 

贅沢病の話からそれてしまったが 中卒から仕事で 始めてもらった給料での一発目に欲しい物を買う。

 

ここから 何でも働いたら買えるという楽しさを覚えたのだった。